2015年12月20日

あんな事、こんな事   校歌誕生秘話

校歌誕生秘話

田中(旧金田一)美奈子(第3期生)

田中さん.jpg

皆さんこんにちは。田中美奈子と申します。
この学校にいた頃は、金田一美奈子でした。その頃は、金田一といいますと、「金田一京助さんのお孫さんですか?」と聞かれました。
大人になってからは、「金田一春彦さんのお嬢さんですか?」と聞かれました。そして最近では「金田一秀穂さんのご兄弟ですか?」と聞かれるようになりました。まさにそれだけ年をとって、私もおばあさんになったということでしょう。
しかし正直なところ、まさか秀穂がこんなに有名になってテレビなどにしょっちゅう出るようになるとは思いませんでした。だって弟はこの学校にいた頃もその後もどうしようもない落第生だったんですから。きっとそれは金田一という名前が特殊だったからでしょう。いわばブランドなんですね。もしもこれが田中とか佐藤とかいう普通の名前だったらここまでブランドになったかどうかわかりません。
さて、今日は松庵小学校の校歌の誕生秘話ということで、お話をするように言われましたが、それほど大した秘話があるわけではありません。
ただみなさんが当然だとおもっていたことと、ちょっと違うことがあるので、それを紹介したいと思います。
それは、この校歌は金田一春彦が作詞ということで、校長先生が父に頼みに行った、と思っている方が大半だと思いますが、そうではありません。実は公募だったんです。
松庵小学校は皆さん知ってのとおり、誕生したのは昭和27年ですか。できたての小学校で、校歌がありませんでした。私がここに入ったのは小学校2年生だと思いますが、その2、3年後に校歌を一般募集するという話がありました。
私の父はそういうのを作るのが大好きだったので、さっそく応募したんです。なぜ最初から父に頼みにこなかったのかとお思いかもしれませんが、その頃、父はまだ無名の学者でした。さきほど申しましたように祖父はまあまあ辞書などで名前が知られていましたが、父はペエペエの駆け出しでした。だからPTAの中にそういう人がいるとわかっていても、まったく歯牙にもかけられない存在でした。
父が応募する時は、学校についての下調べをいろいろしました。その頃の松庵は、歌詞のとおりで竹藪の中でした。正面は畑が広がっていて、富士山も良く見えました。そしてできた頃の校舎は白い屋根でブルーの窓枠がついていました。それで父はこの歌詞を作りました。
それが審査委員の方たち、いったいどんな人が審査したのかは知りませんが、目に留まって当選したというわけです。そして出来上がった歌詞を誰に作曲してもらうかということになり、やはり杉並区に在住しておられた高名な作曲家ということで、清水脩先生にお願いしたのです。
父が清水先生に頼んだ時、一つだけお願いしたことがありました。それは言葉のアクセント通りのメロディにしてほしいということです。実はこれこそ父が一番苦労したことで、この1番の歌詞と2番、3番の歌詞を比べると、すべて同じアクセントの言葉が並んでいます。「日に輝く」と「土の香り」「胸に抱く」は同じです。これが少しでも違ってしまうと、メロディに言葉が載ったときに、スムースに流れない。それを一番父は考えていました。
実は父が若いころに目指したのは、学者ではなく、音楽家でした。これはよく父の話に出てくることなんですが、高校時代は本居長世という有名な作曲家のもとに通っていたんです。本居さんは、「青い目の人形」とか、「赤い靴」とか作曲した方で、当時はとっても人気のある作曲家でした。父は祖父のように学者になりたくない、音楽の道に進みたいと思って、熱心に通っていたようでしたが、いかんせん貧乏な暮らしでピアノが買えない。だから弾けない。ピアノが弾けなければ当然作曲もできない。今ではパソコンなどを使ってメロディを作ることもできるようですが、当時はそんなものはありませんから、とにかく五線譜が書けても、それを表現できなければダメでした。そしてあるとき、本居先生からも、「あなたはお父様のように、言葉の道に進んだらいかがですか」と言われたそうなんです。まさに地獄に突き落とされるような衝撃だったと思いますが、父は泣く泣くあきらめました。でも、その時にそれではアクセントの研究はどうだろうか?と思ったらしい。
祖父は岩手県の出身で、ズーズー弁がひどかった。だから雨と飴の区別もよくできなかったらしいんです。当時の教科書で「ハタ、タコ、コマ、マメ」という言葉が並んでいる。京助が読むと、すべて盛岡弁になる。でも母は本郷出身で江戸っ子でしたから、全然違う。父はそのころ学校で覚えたばかりのドレミの音を使って、「ハタはドレだよ。タコはミレだよ」と京助に指摘する。祖父はびっくりしたらしい。そして父はどうしてそんな風に違うのか、興味をもったんですね。それで自分は音楽の道はダメでも、言葉の中でアクセント、いわばメロディを探して研究してみようと思い立ったというわけです。
だからこの松庵小学校の歌詞を作る際も、とにかく歌詞のアクセントを非常に重要視しました。そして清水先生にもお願いだからアクセント通りのメロディにしてください、と言って、清水先生もその希望を受け入れて、今の効果が完成しました。
まあ、これは余計なことですが、完成後清水先生にはお礼として文明堂のカステラが送られた。でも父には何も来なかった。公募ですから、何もお礼はなかったらしいです。

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ところでこの歌詞の中に、父がとてもこだわりを持って入れた言葉があります。それは「勉強にいそしむ私たち」というところです。
「いそしむ」というのは、非常に日本語らしい言葉だとよく言っていて、この言葉が大好きでした。いやいややるのではなく、いそいそと楽しみながら勉強する。いかにも勤勉で、まじめで、仕事が大好きな日本人らしい言葉ではないか、と常々言っていました。和英辞典を引くと、「いそしむ」は励むと同じ意味で、「endeavor」という単語が描いてありますが、少し意味が違うというのです。「励む」はがむしゃらに働くことだけど、いそしむは働きながら、働くことに喜びをみいだしているというニュアンスがあるんですね。日本人は働くことをことのほか愛する。だから「いそしむ」という単語が生まれる。日本がこれから変わって行っても、こうした言葉は残ってほしい、という思いがあって、この歌詞を作ったということです。
でも、私はこの中で好きな部分は「先生も優しい笑顔」というところです。私もここで小学校の5年、6年をとっても笑顔の素敵な先生に出会えて、幸せでした。先生の名前は福田文夫といいますが、この文ちゃん先生に私たちは育てられたおかげで、60年たってもまだ、この学校に愛着があります。今回同窓会の会長と副会長が、このクラスから生まれたのも、やさしい笑顔の先生に少しでも恩返しをしたいという気持ちがあるからです。
松庵小学校に心から感謝を申し上げて、私の話を終わりたいと思います。
ありがとうございました。


注 この記事は、講話の原稿をそのまま掲載しました。


posted by 松庵人 at 06:00| Comment(0) | あんな事、こんな事
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